刺激と反応の間にある「間」が人生と健康を変える
ひだまりケアのコラムは刈谷市や安城市など、西三河エリアの方に向けた健康コラムを中心に書かせていただいてますが、
たまに、体のメカニズムや健康メカニズムとは直接関係のない哲学的な学びを書くこともあります。
半分、自分の学びに対する備忘録と言う意味もあります。
今回は「刺激と反応の間」についてシェアします。
刺激と反応の間とは?
私が好きな哲学者でヴィクトール・フランクルという有名な人がいます。
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【↑AIによる似せたイメージ画像です】
私が30代前半の時に、体調を崩した時からたまに寝床で読んで心の支えにしていました。
フランクルは、20世紀を代表する精神科医であり、心理学者であり、また哲学者でもあります。
フランクルの思想の中心は、人間がどのような状況に置かれても「態度を選ぶ自由」があるという信念です。
後にそれは態度価値と呼ばれるものですが、その確信を象徴する言葉がしばしば近年の自己啓発本にも引用されています。
「刺激と反応の間には”間”がある」という一節です。
この言葉は、フランクル自身の著書に、そのままの形で記されているわけではありませんが、彼の思想を凝縮した表現として、世界中で広まり、心理学、哲学、教育、ビジネスなどの領域で多数引用されています。
これはもちろん全く健康と関係ないわけではありません。
むしろ人生を充実させるヒントであったり、自由を選ぶヒントであったり、真の健康を得るためのヒントになると考えています。
ほとんどの人が自動的に落ち込んだりイライラして自分を責める
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私を含めて多くの人は、外からの出来事(刺激)に対して、ほとんど無意識のうちに反応してしまいます。
例えば、誰かに批判されるとすぐに落ち込む。また予定外のことが起きると瞬間的にイライラしたり、不安を感じると思考がネガティブになり疲れて寝込んでしまうこともあります。
失敗すると自分を責めるという反応も、なかなか止められませんよね。
これらはほとんど脊髄反射的に起こり、もはや自動反応と言っても良いでしょう。
刺激が入った瞬間に、この反応が起きる事はもう決まってしまっています。
フランクルはこの「自動化」こそが、人間の自由を奪い、人生の可能性を狭めてしまうと考えました。
フランクルの言う「間」とは自動的に反応してしまう前の、このわずかな「余白」のことです。
少し話は逸れますが、フランクルは人間を「意味を求める存在」と捉えました。
“人間は生きる意味を追い求めるものではなく、人生から何を求められているのか、と問われている存在である”
(ちょっと意味が分かりにくかったら「人生」を「神さま」などに置き換えるとわかりやすいかもしれません)
この思想は、フランクルの本を読んだことがある人であれば、誰でも知っていると思います。
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そして、その意味を求める力は、外部の状況に左右されないための内的な自由から生まれてきます。
刺激と反応の間にある「間」とは、まさにその自由の領域に当たります。
刺激は選べない、でも反応は選べる。その選択ができるのは「間」があるから。
フランクルは、過酷な強制収容所の体験を通して、この間の存在を深く理解した人物です。
自由を奪われ、未来の保証もなく、極限状態に置かれながらも
「自分がどのような態度を取るかは、誰にも奪えない」
そう確信しました。
その確信こそが、後のロゴセラピー(意味療法)のベースとなったわけです。
「間」とは自動的な反応を超える力
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刺激と反応の間には「間」があると言う事は、「反射的に反応しなくても良い」ということを意味します。
例えば、
・腹が立ったときに、すぐに大声出す必要は無いし、壁を叩きつける必要もない。
・不安を感じたときに、すぐに悲観する必要もない。
・失敗したときにすぐに自己指定する必要はない。
なかなか簡単に止めれるものでは無いかもしれませんが、
刺激が入った瞬間に反応を選ぶための余白がある。この事実を知ることに意味があります。
その余白の中で、人間は自分の価値観や信念に基づいて態度を選ぶことができます。
でも、結局”状況”を変えることはできません。
「間」は状況を変える力ではなく、態度を変える力になります。
フランクルの思想の重要な点は、「間」が状況を変える魔法ではないということです。
ほとんどの場合、状況は変えられないし、変えても根本的な解決にはならない場合が多いです。
しかし、状況に対する態度は選ぶことができます。
むしろこちらが本質的な解決です。
苦境の中でも希望を選ぶことができる、不安の中でも勇気を選ぶことができる、
失敗の中でも学びを選ぶことができる。
フランクルはこれを「態度価値」と呼びました。
人間はどんな状況に置かれても、態度を選ぶ自由だけは持つ。
その自由がある限り、人間は状況に支配されないし、その自由は、絶対に誰からも奪われない自由です。
また、フランクルの思想では、人間の意味は外から与えられるものではなく、自分で選び取るものだとされています。
刺激と反動の間にある「間」は、まさにその意味を選び取る場所です。
何を大切にするのか?何に価値を置くのか?どんな生き方を選ぶのか?
結局、これらって外からの刺激で選ぶものではなく、内側からの選択によって決まります。
仏教の法話にも、人間を「泥中の蓮」に例えた有名な言葉があります。
「蓮は泥の中にあるからこそ、清らかな花を咲かせることができる」
まさに内側からの選択、つまり「間」を育んでいった先にたどり着ける境地なのだと思います。
「間」がない人は、もうどうしようもないのか?
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刺激と反応の間は、誰にでも存在しますが、その広さは人によって異なります。
すぐに反応してしまう人は間が狭い、落ち着いて洗濯できる人は間が広い。
一見すると、この単純な二元論に感じてしまいますが、人生は長くもっと深いです。
この間は訓練によって広げることができます。
フランクル自身は、「人間は態度を選ぶ自由を持つ」という信念を深めていくことで「間」を広めていきました。
そして、その考えを世界中で広めていきました。
現代では、読書などの哲学思索や瞑想、日記、対話、様々な方法が「間」を育てる手段として知られています。
チャットGPTなどのAIも「間」を広めるのに充分に活用できると思います。
「間」は人間の成熟そのものであり、自由の源
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刺激と反応の間を意識できるようになると、人は状況に左右されなくなります。
感情に飲み込まれない、他人の言動に支配されない、嫌われることを過剰に恐れない、
また、過去の出来事にとらわれない、未来の不安に圧倒されない。
これは単純にメンタルが強い人と片付けれるものではなく、人間が成熟していくと勝手にそのようになっていきます。
フランクルが語った「間」とは、人間が本当の意味で自由に生きることができる最も根源的な場所であり、
まさに人生を主体的に生きる基盤になります。
フランクルの思想をまとめるとこうなります。
・刺激は選べない
・でも反応は選べる
・その選択ができるのは「間」があるから
・その「間」こそが人間が主体的に生きていく基盤である
ちょっと仏教の四諦の文章に似てますね。優れた哲学は突き詰めると同じ考えに至るのかなと感じます。
極限状態で、この心理を見出したフランクルは、時代や文化を超えて多くの人の心を救い続けてきました。
刺激と反応の間にある「間」を意識する事は、自分の人生を自分の手で取り戻すことに他なりません。
まさに、健康に対する考え方も同じですね。
このコラムを読んでいる人は、おそらく多くの場合、自分の人生、自分の力で良くしていこう、切り開いていこうと考えている人だと思われます。
まさに原因不明の不調に対して、何かやれる事は無いのか?
薬に頼るだけでなく、何か習慣を変えること、生活を変えることで、もっと人生が豊かになるのでは?
そのように考えている人だと思います。
その時点で、「間」が育っているのかもしれません。
この記事が、その理想の健康を手に入れる手がかりになれば幸いです。
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