辛い経験と健康について ~艱難辛苦汝を玉にす~

「艱難辛苦汝を玉にす」について

今回の記事は、オステオパシーや健康関連の記事ではなく、人間力や人間の精神性をテーマにした記事です。

 

しかし、体と心と精神はウェルビーイング(心も体もあらゆる面で満たされた幸福な状態)のためにも、この3つは全て同じくらい重視されるべきだとオステオパシーでも教えられています。

 

「艱難辛苦汝を玉にす」
(かんなんしんく なんじを たまにす)

この言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。

 

正しくは「艱難汝を玉にす」(かんなん なんじをたまにす)、なのですが、

こちらの方が世に出回っているような気がするので、あえて「艱難辛苦汝を玉にす」の方で記事を進めていきます。

 

実はこれは日本や中国の故事でもなくフランスのことわざを意訳したものです。

意味としては、辛いこと、苦しいことを経験してこそ強く、賢い人間になれるということです。

 

苦しい世界を生きる目的は?

多くの場合、人はある程度自分の考え、自分の経験で困難を乗り切れると思っています(特に若い人は)。

 

それは手も足も出ないような壮絶な苦しみに直面するまでの話です。

もちろん自分のこれまでの経験が役に立って、困難を乗り越えられた人もたくさんいると思います。

 

でも人生には、艱難辛苦と言われるほど手も足も出ない辛い出来事が突如訪れることもあります。

 

仏教でもこの世の一切は苦しみである(一切皆苦)という真理が教えられています。

生きている以上、絶対に苦しみは避けられませんし、

個人の力ではどうにもならない事がたくさんあります。

 

日本仏教協会の webサイトによると、仏教の目標を、

“仏教では仏陀の説いた教えに従い、僧侶や在家信者それぞれの立場で修行・実践して悟りや解脱(涅槃)を成道すること”

引用:日本仏教協会 webサイト

と定めています。

 

私なりに出家していない現代人向けに置き換えて解釈すると、

 

お釈迦様の教えに触れ、そして理解し、それに基づいて社会貢献をして心を磨くこと。

そんな”修行”を重ねることにより、この苦しみに満ちた世界から”解放”されること。

それこそが「生きる目標」である。

 

という感じでしょうか。

 

(ちなみに私は特定の宗教には関係していません。仏教もギリシャ哲学(ストア派)も聖書やアドラー心理学も人生の参考になり素晴らしいと思っています)

 

普通のことが意外と苦しみの種だったりする

では、

自分だけの力では、どうしようもないこの世の苦しみとはどんなものがあるでしょうか?

 

例えば、恋愛に関する苦しみ。

いくら自分が好きでも相手に拒否されれば自分の力ではどうしようもないことがあります。

 

そして、仕事や人間関係での苦しみ。

 

特に会社組織で仕事をしていると、自分の意思や努力ではどうにもならないことなのに責任を取らなければいけないことや、

理不尽な取引先から責められて謝罪しなければいけない場面もあります。

 

私もサラリーマンを経験しているので、悔しくて悲しい思いをたくさんしました。

 

全く本を読まず、誰の教えにも影響されず、個人の考えのみで怒りを克服できた人っているのでしょうか?

 

そして病気、これもある程度は予防する努力はできますが、絶対的な健康法はないし、生まれてから死ぬまで完璧に健康な人など存在しません。

生きている以上、病気にかかる事は仕方のないことです。

 

病気は大きな苦しみです。

 

もともと、心が朗らかな人でも病気になったら、想像を絶する苦しみを心のうちに抱えます。

 

「病気だけど全く苦しみがないです」

という人には出会ったことがありません。

 

このように、人生には避けられない苦難、苦しみがたくさんあります。

 

「苦しみは悪いことではない、それを経験するから幸せになれるんだよ」

 

なんて事は軽々しく言いません。

 

私も辛い思いをしているときに、その言葉を言われて少しイラっとしました(でも相手は間違いなく親切な人です)。

 

辛い経験、苦しい思いをどのように捉えるかは個人の自由ですし、

辛い経験をバネに、それを幸福の材料として受け入れられるまでには、人それぞれ時間がかかります。

 

ただ、これまでたくさんの方のお話を聞かせてもらったり、施術をさせてもらう中で、

まさに、
「艱難辛苦汝を玉にす」

を具現化するような経験をたくさんしています。

 

自分の話になりますが、家族が病気になったり、自分自身が部屋から出られないような辛い経験をしてから、だいぶ考え方が変わりました。

多くの人は、

 

他人より多い収入でいたい

他人より良い見た目でいたい

他人に馬鹿にされたくない(尊敬されたい)

他人と違うことをして、孤独になりたくない(たくさんの友達や人脈と繋がっていたい)

他人の機嫌を損ねて嫌われたくない(みんなから好かれたい)

 

その他いろいろあると思います。

ただ、これらの世間で言われている幸せの基準が気になりすぎると、

自分が本当に思っていること、また自分の個性というものが、やはり表に出しにくくなります。

 

例えば、誰だって孤独にはなりたくないと思いますが、孤独になりたくないからという理由で、

気が合わない人たちのグループに入るのってけっこうシンドイです。

 

嫌われたくないからという理由で、人に意見を言わないのも、やっぱり辛いです。

 

この辺のことを繰り返していると、なんというか、自分がちっぽけな存在、情けない存在に思えてきます。

 

苦悩することはそれだけで立派な業績

 

ただ、「生きる意味」を考えさせるような衝撃的な出来事、つまり”艱難辛苦”を経験し、

乗り越えると、どうやら不思議なことに、

これらの悩みが、今までより小さく感じる人が多いようです。

 

「悩みが小さくなる」

というよりは、

「そこはあまり重要じゃない」

と自然に思えると言ったほうが正しいかもしれません。

 

私もそうでした。

 

自分が心に抱えているモヤモヤの正体ってなんだろうか?

自分が辛い経験をする時って?

自分が誰かや何かに腹が立つ時ってどんな時?

 

自分はいつか死ぬし、

この限られた時間の中で、

どのように過ごせば、死ぬ直前に、

「あー、いい人生だったなぁ」

と思えるようになるのか?

 

辛いことを、経験すれば多くの人はこれに近いことを考えるんじゃないでしょうか?

 

最近、流行っている書籍に

『死ぬ前に後悔する〇〇のこと』

そんな類のタイトルの、「死」をテーマにして人生を豊かにするための考え方を指南する本がたくさんあります。

 

それだけ生き方に悩んでいる人や「人生の意味」を疑っている人がたくさんいる証拠だと思います。

 

世界的なベストセラーで、ナチスによる強制収容所をテーマにした『夜と霧』の著者であるヴィクトール・フランクルも、

著書『苦悩する人間』の中で、

“苦悩とは、このように何よりもまず業績である”

引用:『苦悩する人間』 ヴィクトール・フランクル著

という言葉を残しています。

 

 

フランクルの心理学やトランスパーソナル心理学に詳しい明治大学教授の諸富祥彦先生の解説によると、

苦しむこと、それ自体が大きな仕事を果たしたのと同じような価値があるというわけです。

 

もちろん、苦悩に価値があるのは、「俺は苦しい、辛い、もう何やっても無駄だ」とニヒリズム的に諦め、不幸を周りに言って回るような苦悩の仕方ではなく、

苦悩を正面から受け入れ、悩む力を育てていき、人間としての成長や、人生を良くすることに繋がる苦悩こそが、価値ある苦悩になると解説されています。

(これは私自身もたまに耳が痛いです、、。)

 

情報を整理すると、

やはり困難の中で、苦しみもがいて、人生の意味について考える事は、それこそとても意味のある行為だということです。

 

様々な苦悩を克服するために本を読んだり、いにしえの賢者の体験を知ったり、未知の価値観に触れることは、

人間の器を大きくして、強く賢い人間になるために非常に役に立ちます。

 

なんというか、

苦しい経験を乗り越えた人というのは表面的な優しさではなく、深い慈しみを感じさせるような優しさがあります。

 

そのような人は、あまり己の利益を考えずに、目の前の人の役に立とうと全力になれます。

 

そうすることが、自分にとっての幸せであり、

深い善の感情を心に感じることができる、

 

それがわかっているというか、もうそれしかないということを痛感しているのだと、個人的には考察します。

 

「艱難辛苦汝を玉にす」で人生は充実する

 

ひだまりケアの施術で関わらしていただいている利用者様が、そんな気づきを得られた経験を聞かせていただくと私もとても勉強になります。

 

やっぱり、心と体を整えて健康になることも、もちろん大事ですが、

「艱難辛苦汝を玉にす」

とあるように、

辛い経験を通して”気づき”を得たり、精神面に磨きをかけることが、

ちょっとやそっとのことでは悲しんだり、怒ったり、落ち込んだりしないことにつながります。

 

いたずらに心の揺れを感じないことは、自律神経にとっても良いし、当然体の健康にとってもプラスに働きます。

 

長い長い記事になりましたが、まあ難しい事を考えなくても、

「いろいろあった人生だけど、なんだかんだ悪くない人生だったなぁ」

と、後から振り返えれることは、とても幸せなことだと思います。

 

最終的にはやや健康系の記事になりました。

やはりどうしても、精神性と心と体の健康は切っても切り離せないものです。

 

【安城の整体ひだまりケアより、読書様へ】

このコラムは安城の整体、「自律神経専門整体ひだまりケア」のコラムです。

安城市や刈谷市、知立市、豊田市など西三河エリアで自律神経の不調に特化した出張整体を提供しています。

国家資格者が20年以上の施術経験を持ち、頭痛、不眠、ストレスからくる不調に対応しており、ご自宅で本格的な整体を受けられます。

愛知県の安城、刈谷、豊田など西三河のみを対象にしておりますが、他県など遠方からの施術希望もあります。

他県や遠方などへの出張は原則対応しておりませんが、強く興味を持っていただいた方は、西三河に親戚やお知り合いの方がいたりした場合はそちらに訪問させていただき、またレンタルスペースを借りて施術するなどの対応も実績があります(レンタルスペースの料金はお客様様負担でお願いしております)。

メールかLINE公式にてお問い合わせ下さい。