仏教“好き”の人は、なぜ落ち着いて見えるのか?

整体の仕事をしていたり、技術セミナーに参加すると、ときどき不思議な共通点に気づくことがあります。

 

それは「仏教が好きなんです」と言う方は、どこか落ち着いた雰囲気をまとっていることです。

 

ここで大事なのは、仏教“徒”ではなく、仏教“好き”という点です。

 

信仰として深く実践しているわけではない。

ただ、仏教の考え方や言葉に触れると、なぜか心が楽になる。

そんな“ゆるい距離感”で仏教に親しんでいる人たちです。

 

これは仏教だけではなく、ある種のギリシャ哲学好きでも起こり得る傾向です。

 

大抵、初期仏教の教典が好きな人は、ストア哲学関連の本も非常に詳しいです。

 

では、なぜ仏教好きの人は、あの独特の落ち着きを持っているのでしょうか。

 

これは宗教の話ではなく、身体の仕組みとして説明できる現象です。

① 「評価しない姿勢」が身体をゆるめる

仏教の基本には、

「良い・悪いをすぐ判断しない」

「ただ観察する」

という姿勢があります。

 

10年くらい前に、『反応しない練習』という本がベストセラーになりました。

まさにその本のテーマこそが良いも悪いも判断しない、余分な判断こそが何より自分を苦しめるというものでした。
(もし興味のある方は一読することをお勧めします)

これは実は、身体の緊張をほどくときにとても役立つ態度です。

人は、

「あの人はとてもいい人だ」
「あの人はちょっと意地が悪い」
「あの人が言ってることなら間違いないだろう」

このような判断を全て仏教としては余分な判断、つまり“レッテル貼り”扱いをします。

そんな余分な判断を重ねるほど、脳が忙しくなり、身体は戦闘モードに近づきます。

逆に、評価をいったん脇に置くと余分な判断がなくなり、怒りや苦しみ、悲しみを手放すことができます。

そこで呼吸が深くなり、肩の力が抜けていきます。

もちろん、練習、積み重ねが必要となりますが、、。

仏教好きの人は、この“評価しない感覚”に自然と惹かれるため、

結果として身体がゆるみやすいのです。

 

まさに頭蓋仙骨療法やオステオパシー施術者に求められる姿勢・考え方と通じるものがあります。

 

 ② 呼吸に意識が戻ると、落ち着きが生まれる

仏教の言葉や考え方に触れると、

なぜか呼吸がゆっくりになる瞬間があります。

そもそも「呼吸をゆっくりしなさい」または「自然な呼吸を観察しなさい」と多くの本が教えています。

「今ここに戻る」

「ただ息を感じる」

こうした表現は、身体の緊張をほどくきっかけになります。

呼吸が深くなると、心拍が落ち着き、身体の余計な力が抜けていきます。

これは自律神経のシステムからもその機序が説明できます。

仏教好きの人は、この“呼吸が整う感覚”が心地よくて、自然と惹かれているのかもしれません。

いつの間にか、その呼吸の感覚が日常生活に溶け込んでいるものです。

 

 ③ 「執着を手放す」という考え方が、心の負担を軽くする

仏教には「執着を手放すという言葉があります。

慈悲喜捨の「捨(しゃ)」の部分ですね。

まさに、仏教の核心である「捨ておく心」のこと。

これは、

「こうでなければならない」

「失敗してはいけない」

といった心のクセをゆるめる考え方です。

この“力の抜け方”が、身体の緊張をほどくのにとても役立ちます。

仏教好きの人は、こうした言葉に触れることで、

知らず知らずのうちに心の負担が軽くなり、その結果として身体の緊張も和らいでいくのです。

 

 ④ 「無常観」が未来への不安をやわらげる

無常とは「形あるものは必ずしも滅びる」「一切の行は無常なり」という言葉でも知られているように、「すべては変化する」という仏教の中心的な考え方。

これは、未来への不安を抱えやすい現代人にとって、

実はとても優しい視点です。

「変わっていくものなら、今の状態に固執しなくていい」

そんな感覚が生まれると、心の余白が広がります。

 

仏教好きの人は、この“余白のある世界観”に安心感を覚えるため、

自然と落ち着いた雰囲気をまといやすいのです。

 

良い意味で「諦めが良い」と言って良いでしょう。

⑤ 「自分と距離を置く」ことで、思考の暴走が止まる

「執着してはいけない」と聞くと、お金や地位、もしくは好きな異性に執着してはいけないことだと思われますよね?

 

それでほぼ正解なんですけど、もう一つ大切なものがあります。

 

それは”自分”というもの、”自分の考え方”や”自分が知りえた知識”にさえも執着をしてはいけないということ。

とにかく自分という存在から、考え方、精神面まで含めて、自分というものに執着してはいけないと教えられています。

 

『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』という本がnoteから書籍化されて最近話題になりました。

 

仏教には「自分という実体に固執しない」という考え方があります。

 

これは心理学でいう“思考との距離を取る”感覚に近いものです。

 

ここまで来ると、かなり仏教上級者でないとなかなか身に付かないものだと思いますが、

 

このように自分の思考と距離が取れると、頭の中のざわざわが静まり、身体の緊張もほどけていきます。

 

仏教好きの人は、この“思考の静けさ”もしくは”究極の開放感”に惹かれているのかもしれません。

 

 

 まとめ:仏教好きの人は、身体が楽になる方向を自然に選んでいる

仏教好きの人が落ち着いて見えるのは、

宗教的な理由ではありません。

仏教の考え方が、身体の仕組みに合っているから。

• 評価しない
• 呼吸に戻る
• 執着を手放す
• 無常を受け入れる
• 思考と距離を置く

これらはすべて、身体の緊張をほどき、心を静かにする方向です。

仏教好きの人は、
“自分の身体が楽になる考え方”を自然に選んでいるだけなのかもしれません。

その結果として、

あの独特の落ち着きが生まれているのです。

 

自律神経と関係ないようで関係のある記事でした。

 

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